想芸館 浮遊体アート工房
Floating Factory
2007 -

浮遊体アート工房<浮遊Factory>
Floating Factory
Eimei Okuda ・Naho Okuda ・Sadaharu Komai
2007 -

浮遊体アートの制作を始めた2000年頃は、奈良市内にある自宅の物置がアトリエであった。 制作のための設備・道具等を入れると体を小さくして正座しないとならないほどの3畳弱のスペースである。

初期の物置アトリエ物置アトリエ 2000年-2001年頃

その後、浮遊体アートマドレーヌタイプ(人工クラゲ)インテリア展開に伴って、制作工房は、自宅全域、及び自宅周辺の1軒屋(別荘実験室)、別会社倉庫(大阪銘版実験棟)、水上アパート2棟(ベトナム邸)等を次々に借り上げて制作することとなった。

ベトナム邸浮遊Factoryベトナム邸 2002年-2007年頃

中でもベトナム邸は、畳をあげるとその下が池になっており、泳いでいる鯉やカエルが見えるというユニークな構造のため、「畳の下に籠を吊り下げてクラゲを育て、大きくなったら籠を引き上げるんですよ」などと偽の養殖方法を見学者に説明するのに好都合であった。

2007年以降は近隣の更地(奈良市佐紀町)に建てた新築工房に移行した。徒歩数分で世界遺産に指定されている平城京跡地であり、工房外観は法律上厳しく規制されている。そのため「浮遊」をテーマに掲げた当初の突飛な「火の見やぐら付工房」などの建築案はすべて没となり、周囲の環境に調和した平屋建ての簡素な外観とした。

しかし建物内部は平屋の中空に制作室がトンネル状の長い制作室が浮遊した構造で配置されるというユニークなものである。

浮遊体アート工房<浮遊Factory>浮遊Factory 2007年〜

浮遊体アート工房<浮遊Factory>浮遊Factory 模型

「浮遊」をテーマとした内装建築である。これはかつてギャラリーカフェとして運営していた「浮遊代理店(2000年-2005年)」の建築要素である浮遊大階段等のアイデアを生かして発展させたものであり、床から浮遊する階段等の工夫を凝らしている。設計は浮遊代理店に引き続き駒井貞治の事務所の駒井貞治氏に依頼した。

浮遊代理店浮遊代理店 2000年-2005年頃

浮遊代理店浮遊代理店 天井激突大階段

奥田エイメイ自身が浮遊しながら仕事をするという構想で、床構造の一部を浮遊させ天井近くに貼り付かせ、浮遊する仕事机としたが、今では奥田エイメイの代わりに「社長」と呼ばれる電球人形が浮遊しながら工房の指揮を執っている。電球人形が社長に就任して工房の経営にあたるようになって以来、奥田エイメイは作品制作に集中できるようになった。そのため更なる工房経営力の強化を狙って電球副社長も制作し就任させるに至った。

浮遊Factory 社長浮遊Factory 社長

浮遊Factory 副社長と奥田エイメイ浮遊Factory 副社長(左) 奥田エイメイ(右)

サラリーマン時代の退職金をすべてつぎ込んでギャラリー浮遊代理店をつくり、その後、綱渡りをしながら工房運営をしてきたが、この浮遊体アート工房を建てる際がこれまでで一番厳しく、そのプレッシャーが元となり生まれてきたのが、これらの電球社長たちであり、作品アイデア・自動生成アート「GCAT・・・水中猫発生プロジェクト」だ。

自分が制作してきたものは、オブジェであれ工房であれ、「生き残る形」を目指してきたのではないかと思うことがある。

なお新しい工房は、奈良時代に平城京の禁園(宮廷の庭園)であった松林苑跡地にあたる。考古学研究所の遺跡調査によると、ごく近隣に苑池の痕跡も発見されていることから、奈良時代には当時の珍しい水辺の植物が集められ、研究されていたかもしれないとも想像される場所となる。そこで天平の想像の花である宝相華をモチーフとしたアートオブジェを制作することもテーマのひとつに加えることにした。

工房を移し建てるという行為の中から、「GCAT」・「想像の花・・・宝相華」の少なくとも二つのテーマが生まれることになった。

最後に、浮遊FACTORY建設計画が頓挫せず竣工できたのは、想芸館の経理責任者である奥田奈穗が、長年、工房運営費の削減に勤めて溜め込んできた「埋蔵金」発掘によるものであることに感謝したいと思います。